国民はすべて経済の当事者

「週間!木村剛」さまのブログ、
「2004.08.24オリンピックになぜ私たちは感動するのか?」
http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2004/08/post_20.html
についてコメントいたします。

【引用開始】

「当事者か評論家か。・・・周りに非難されようとも、現実と取っ組み合いする人生か、自分を安全なところにおいて、いいたいことだけ言う人生か。・・・」(略)

ところが、わが国の経済論議をみていると、評論家だらけです。机上の「経済学」学の数学ゴッコに酔いしれて、経済理論など前提条件を変えれば、いくらでも結論が変わるものを、あたかも唯一無二の真実であるかの如くに奉り、他の考え方を受け付けない「賢い人々」が多く存在しています。

そういう方々の特徴は、経済学学をお勉強するのに時間をとられて、国語を履修して語彙を増やす時間がなかったせいか、自分の価値観に合わない論理は「トンデモ理論」とレッテルを貼って、重箱の隅をつつきながらマスターベーションすることに余念がないんですね。「Aという状況になったら困るから、Bという政策を実施しましょう」と主張しているのに、「Aになると言っていたのに、なっていないではないか」と批判するのですから、経済学学をお勉強しすぎて、読解力という国語の基礎ができていないのでしょう(Bという政策を実施して、Aという状況を回避したのですから、それで良いんではないですかねぇ)。

・・・評論家は当事者に勝てないんですね。それは、評論者が得てして現実から顔を背けがちであるのに対して、当事者は現実を直視し続けなければならないからです。・・・

【引用終了】

ポイントがずれていればご容赦ください。

私は、経済(学)※の専門家ではありません。その意味では、「(経済(学)の)当事者」ではないのかも知れません。ちょっとわかったようなマクロ経済風の計算をしたり、勝手な引用をするのも「(経済(学)の)評論家」といえるのかもしれません。

しかし、すべての国民は、立派に「(経済の)当事者」と存じます。普通の技術者である私も、複雑な現在の経済システムに組み入れられて生活しています。しかも、国家財政の行く末は、すべての国民に多大な影響を及ぼす問題ですので、国民は当然当事者なのです。経済学を正しく学んだ人だけが経済について発言できる※、というわけではないかと存じます。

※もちろん、木村氏が、「経済学を正しく学んだ人だけが経済について発言できる」と書いているわけではありません。また、一般国民の「経済の当事者」性を否定しているわけでもありません。さらに、「経済」と「経済学」、そしていわゆる「経済学学」は別物です。正しくは、原文をご確認ください。

前提条件が変わると計算結果も変わる、それは当然のことです。また、未来予測の学問として冷静に判断したときに、経済学の精度は、理系の学問(化学、物理、・・・)に劣ると感じています。扱う変数・不確定要素の多さと開放系の難しさから、それは仕方のないことです。だからこそ私は、国家財政の行く末について、いろいろデータを集め、リスク対策をする必要を主張しているのです。

そして、当事者である国民が、経済に関心を持つことが、いま必要とされていることと存じます。終局的には、国家財政のおとしまえは、主権者であり最終負担者である国民のところに回ってくるからです。
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by kanconsulting | 2004-08-28 05:02 | 経済状況
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